同じ言葉が三つの別のものを指している
職場で「心のケアが必要だ」と言われたとき、人によって思い浮かべるものが違う。ある人はカウンセリングの予約を思い、ある人は休職した同僚の復帰面談を思い、ある人は年に一度配られる質問票を思う。どれも間違いではないのだが、同じ言葉のまま議論を始めるので話が噛み合わない。
この混乱は言葉の定義があいまいだから起きているわけではない。国の側には整理された枠組みがある。厚生労働省の「労働者の心の健康の保持増進のための指針」は、職場で行う心のケアを四つに分けて示している。平成18年に健康保持増進のための指針公示第3号として示され、平成27年の公示第6号で改正された。根拠は労働安全衛生法第70条の2第1項で、同法第69条第1項の措置を有効に実施するための指針という位置づけである。
四つに分かれている理由は、担い手が違うからだ。誰がやるかが違えば、できることも限界も変わる。順に見ていくと、冒頭の三つの連想がそれぞれ別の箱に入ることがわかる。
四つのケアは誰が動かすのか
指針が挙げる四つは、セルフケア、ラインによるケア、事業場内産業保健スタッフ等によるケア、事業場外資源によるケアである。頭文字の語呂で覚える類のものではなく、担い手の距離で並んでいると考えるとわかりやすい。本人、上司、社内の専門職、社外の専門機関と、同心円が外に広がっていく。
| ケアの種類 | 担い手 | 主な中身 |
|---|---|---|
| セルフケア | 働く人本人 | 自分のストレスに気づき、予防と対処をする。事業者はそれを支援する |
| ラインによるケア | 管理監督者 | 職場環境等の把握と改善、部下からの相談への対応 |
| 事業場内産業保健スタッフ等によるケア | 産業医、保健師など | 心の健康づくり対策の提言と推進、本人と管理監督者の支援 |
| 事業場外資源によるケア | 社外の機関・専門家 | 事業場の外にある機関や専門家の支援を受ける |
指針はこの四つを「心の健康づくり計画」を立てたうえで進める形をとっている。ただし、指針に沿った取り組みそのものは事業者の努力義務であって、やらなければ違法になるものではない。ここは後で触れるストレスチェックとは性質が違う。
相談できる人はいる。詰まるのはその先
枠組みが用意されていることと、使われていることは別である。厚生労働省の「令和6年 労働安全衛生調査(実態調査)」によると、仕事や職業生活でのストレスを相談できる人がいる労働者の割合は94.6%だった。令和5年は94.9%で、ほぼ動いていない。相談先が無い人は4.1%にとどまる。
では相談しているのか。相談できる人がいる労働者のうち、実際に相談したことがある人は74.7%である。前年は73.0%だった。裏返すと、相手がいると答えた人の4人に1人は、いると答えながら持ち込んではいない。心当たりがあることと、口に出すこととの間に段差がある。
相談相手の内訳も見ておきたい。相談できる相手は「家族・友人」が68.6%で最も多く、次が「上司」の65.7%、「同僚」が62.8%と続く。実際に相談した相手でも「家族・友人」が62.1%、「上司」が58.9%の順になる。男女で順位が入れ替わるのも特徴で、男性は上司が70.6%で首位、女性は家族・友人が71.1%で首位になる。この偏りについては人間関係の悩み解消法の記事でも別の角度から扱った。
年代でも景色が変わる。相談できる人がいる割合は20歳未満で99.7%、20代で98.4%と高い水準にあるのに、60歳以上では90.6%まで下がる。相手として家族・友人を挙げる割合は20代の79.0%から50代の60.6%へと落ち、代わりに同僚を挙げる割合が上がっていく。年齢が上がるほど私生活側の相談先が細り、職場の中で処理する比重が増える形になっている。
専門職の窓口にはほとんど届いていない
四つのケアのうち、三つ目と四つ目は専門職が担う部分である。ここの数字が小さい。相談できる相手として挙がった割合は、産業医が5.3%、保健師または看護師が3.1%、事業場が契約した外部機関や「こころの耳」電話相談等の窓口が2.2%、公認心理師等の心理職は0.8%だった。家族・友人の68.6%と並べると、桁が違うことがわかる。職場の人間関係そのものがストレス源になっている場合の内訳は人間関係とストレスの記事に置いた。
この差は、専門職が不要だという意味ではない。家族や友人は事情をよく知っている代わりに、職場の業務配分を変える権限を持たない。上司は配分を変えられる代わりに、評価する立場でもある。社内の産業保健スタッフと社外の機関は、その二つの制約の外に立てる位置にいる。にもかかわらず選択肢として数えられていない。
就業形態で見ると使われ方がさらに偏る。派遣労働者は相談できる人がいる割合が83.3%と全体より11ポイント低く、相談先が無い人が15.4%に達する。一方で保健師・看護師を挙げた割合は7.7%と他より高い。身近に相談先が少ない層ほど、制度側の窓口が最後の一本になりやすい。
受け皿を用意する側の数字も同じ方向を指す。メンタルヘルス対策に取り組んでいる事業所は全体で63.2%だが、労働者50人以上の事業場では94.3%に達し、10人から29人の事業場では55.3%にとどまる。働く人の意識ではなく、職場の規模が相談先の数を決めている部分が大きい。
努力義務と義務の線はどこに引かれているか
心のケアをめぐる制度は、強制力の強さが二段になっている。四つのケアを定めた指針は努力義務にとどまる。これに対してストレスチェックは、2015年から労働安全衛生法によって事業者に実施が義務づけられている。枠組みは勧めるだけ、検査は義務という組み合わせである。
ただし義務にも範囲があった。労働者数50人未満の事業場は、当分の間は努力義務という扱いが続いていた。この線は動く。2025年5月に公布された改正労働安全衛生法で50人未満の事業場にも実施が義務づけられ、令和10年4月1日から適用される。小さな職場ほど専門職が近くにいないため、この数年が準備期間になる。
働く場所を選ぶ段階でこうした体制を見る人は多くない。求人票には書かれていないことが多いが、産業医がいるか、社外の相談窓口と契約があるかは面接で聞ける。地方で働く選択肢を調べるときにも同じ見方が使える。FLASPOのように地域と仕事を結ぶ入口を使う場合でも、制度の有無は確認しておきたい項目である。
よくある質問
メンタルケアとカウンセリングは同じものか。カウンセリングは四つのケアのうち専門職が担う部分の一手段で、全体ではない。本人が自分の状態に気づくことや、上司が業務量を調整することも同じ枠組みに含まれる。
上司に相談すると評価に響かないか。評価者に言いにくいという感覚自体はよくあることで、だから指針は社内の産業保健スタッフと社外の機関を別の箱として置いている。守秘の扱いは窓口ごとに違うので、相談の前に確認してよい。
職場に産業医がいない場合はどうするか。産業医の選任義務は一定規模以上の事業場にかかるため、小さな職場ではいないことがある。その場合は事業場外資源によるケアが受け皿になる。各都道府県の産業保健総合支援センターや、厚生労働省が運営する「こころの耳」の電話相談が入口として使える。
家族に相談するのでは足りないのか。足りないわけではない。実際に相談した相手の62.1%が家族・友人で、最も多く選ばれている。ただし勤務時間や業務配分を変える判断は職場の側にしかできないため、負荷そのものを下げたい場面では窓口を足す必要がある。
四つのケアはどこから手をつければよいか。指針は心の健康づくり計画を先に立てる順序を示している。個々の施策を並べる前に、誰が何を担うかを決めておかないと、不調が出たときに上司と産業保健スタッフのどちらが動くのかが決まらず、結果として誰も動かないことになりやすい。
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