四千五百二十九人という数字は、どこから来たのか
移住や地方創生の文脈で名前の挙がる町を調べると、取り組みの紹介ばかりが出てきて、人が何人住んでいるのかに行き当たらないことがある。徳島県神山町の場合、町が自分で出している資料に数字が並んでいる。人口から見る神山町によれば、二〇二六年四月一日の人口は四千五百二十九人である。
同じ資料は、町が生まれた一九五五年の人口を二万九百十六人と書いている。七十年で五分の一強まで減った計算になる。途中の年を置くと、二〇一〇年が六千四百六十五人、二〇一五年が五千九百二十七人。直近の十六年だけで千九百人あまりが消えている。減り方は一定ではなく、近年のほうが勾配はゆるい。
この町が語られるときは、通信環境を先に整えて仕事を呼んだという話が中心になりやすい。経緯そのものは過疎化対策の事例の記事で触れている。ただ、取り組みの評価と人口の数字は別の軸にある。先に数字の側を押さえておくと、成功事例という言葉が何を指しているのかが見えやすくなる。
転入は五年のうち三度、転出を上回った
人口の増減は、生まれた人と亡くなった人の差である自然動態と、入ってきた人と出ていった人の差である社会動態に分かれる。神山町の社会動態は、二〇二一年度が二十九人の減、二〇二二年度が十二人の増、二〇二三年度が五十三人の増、二〇二四年度が九人の減、二〇二五年度が四十一人の増だった。五年のうち三年がプラスである。
五年の平均は十四人の増で、町が掲げる毎年十一人という目標を上回っている。町の資料は、一九五五年以降で社会動態がプラスになった年は六回しかないとも書いている。そのうち半分が直近五年に入っていることになる。転入の実数は年に百十六人から百七十八人の幅で動き、転出は百二十五人から百五十一人のあいだにある。
転入の年次を並べると、二〇二一年度が百十六人、二〇二二年度が百六十三人、二〇二三年度が百七十八人、二〇二四年度が百四十二人、二〇二五年度が百六十九人である。百四十人から百七十人台で推移し、転出がそれを下回った年にプラスが立つ。移住施策の成果という言い方をするなら、数十人の差を毎年つくり続ける作業を指していることになる。
| 年度 | 人口(人) | 自然動態(人) | 社会動態(人) | 増減合計(人) |
|---|---|---|---|---|
| 2021年度 | 4,933 | -132 | -29 | -164 |
| 2022年度 | 4,815 | -134 | +12 | -118 |
| 2023年度 | 4,735 | -133 | +53 | -80 |
| 2024年度 | 4,594 | -131 | -9 | -141 |
| 2025年度 | 4,529 | -107 | +41 | -65 |
表を縦に見ると、増減の合計は百六十四人の減から六十五人の減まで縮んでいる。社会動態が効いている年ほど、減り幅が小さい。移住の受け入れが人口の下支えになっているという主張は、この列を根拠にできる。
毎年百人以上が減る側の数字は動かしにくい
では、社会動態がプラスの年でも人口が減るのはなぜか。表の自然動態の列を見ると、五年のあいだ百七人から百三十四人の減が続いている。内訳はさらに極端で、二〇二五年度の出生は九人、死亡は百十六人だった。生まれる人が十人前後、亡くなる人が百人を超える状態が毎年繰り返されている。
背景には年齢の構成がある。町の資料によれば、二〇二六年四月一日の高齢化率は五十二・〇六パーセント。住民の半分以上が六十五歳以上という水準である。全国の高齢化率は二〇二五年九月時点で二十九・四パーセントだから、二十二ポイント以上の開きがある。死亡者数が百人台で推移するのは、この構成から導かれる結果だと言える。
ここから分かるのは、社会動態と自然動態では桁が違うという事実である。四十一人の転入超過は、百七人の自然減を埋めない。移住者を増やす施策がうまく運んだとしても、総人口の減少はしばらく止まらない。町の資料が社会動態の目標を毎年十一人という控えめな数字に置いているのは、この構造を踏まえた設定だろう。
実数で並べると輪郭がはっきりする。出生は二〇二一年度から順に十一人、十八人、十人、十二人、九人。死亡は百四十三人、百五十二人、百四十三人、百四十三人、百十六人である。死亡数が百十六人まで下がった直近の年は、自然減もこの五年で最小になった。ただし出生の側は十人前後から動いておらず、自然動態の改善が偶然に寄っている可能性は残る。
二〇六〇年に千三百七十九人か、三千人か
将来の姿については二つの数字が並んでいる。国立社会保障・人口問題研究所の推計をあてると、二〇六〇年の神山町は千三百七十九人になる。子どもは一学年あたり四人程度という計算で、学校を維持できる規模ではない。
これに対して町は、神山町創生戦略・人口ビジョンで二〇六〇年に三千人を下回らない規模を目標に置いた。二〇二六年一月二十六日付の第三版である。前提は、毎年四十人の新たな転入が続くこと。直近五年の転入実数が百四十二人から百七十八人であることを考えると、転入の総量ではなく定着の歩留まりが鍵になる前提設定である。
目標と推計の差は千六百人ほどある。この幅をどう読むかで、町の取り組みへの評価は変わる。推計を外すための条件が明文で置かれている点は、少なくとも検証の対象になる。関係人口という言葉で語られる外からの関わりも、最終的にはこの転入の継続に接続するかどうかで測られることになる。整理の仕方は関係人口の現状の記事がまとめている。
一学年十九人という規模が、次の制約になる
人数の少なさは、子どもの側にもう一つの形で現れている。二〇二六年四月一日の年少人口は二百九十二人で、一学年あたり約十九人。二〇一〇年は四百十三人で一学年あたり約二十八人だったから、十六年で学年規模が三分の二になった。割合で見ると六・二六パーセントから六・四五パーセントへわずかに上がっており、減っているのは子どもだけではないことも分かる。
より効くのは出生数の変化である。年度平均は二〇一〇年度から二〇一五年度が十九・五人、二〇一五年度から二〇二〇年度が十九・二人で横ばいだったが、二〇二〇年度から二〇二五年度は十三・八人に落ちた。十年横ばいだった数字が直近五年で三割近く下がっている。合計特殊出生率は徳島県とほぼ同水準で全国平均をやや上回るとされ、出生率の低さではなく産む年代の人数の少なさが効いていると読める。
町の資料には、相談の窓口を通じた転入者が前年の十六人から三十二人へ増えたという記述もある。住民票を移さない関わりも含む数字で、規模は小さいが倍になっている。学生がこの町に関わるとしたら、移住の決断より前の段で接点を持つ形が現実的である。地域と関わる入口を比べるときは、FLASPOのような助走の場も候補に入れておきたい。
学年規模の見通しも資料に残っている。二〇一五年の推計では、一学年の同級生が二十三人から四人まで減るとされていた。十九人という現在地は、その経路の途中にある。学校の形を変えずに維持できる下限がどこかという問いは、人口の目標とは別に立てて考える必要がある。
よくある質問
神山町は人口が増えている町なのか。増えてはいない。社会動態は五年のうち三年がプラスだが、自然動態の減が毎年百人を超えるため、総人口は減り続けている。二〇二五年度の減少幅は六十五人で、直近五年でいちばん小さかった。
移住の受け入れは効いていないということか。そうは言えない。増減の合計が百六十四人の減から六十五人の減へ縮んだ年の並びは、社会動態のプラスと重なっている。効き方の大きさを自然動態と同じ桁で期待すると見誤る、という話である。
高齢化率が五十二パーセントを超えると、何が起きるのか。働き手と介護を担う世代の比率が下がり、医療と福祉の需要が相対的に大きくなる。町は介護サービスの計画を別に立てており、将来の高齢化率はいずれ下がる見通しも示されている。人口全体が縮んだ結果として比率が動く点に注意が要る。
数字はどこで確かめられるのか。人口、動態、年少人口、高齢化率は町のサイトの人口資料に、将来の目標と前提は創生戦略の本体に載っている。どちらも町が公開している一次資料で、年度が変わると数値も入れ替わる。引用するときは時点を明記しておくのが安全である。
同じ見方は他の町にも使えるのか。使える。社会動態と自然動態を分けて並べ、増減の合計と見比べるだけで、取り組みがどこに効いているかの見当がつく。多くの市町村が同じ形式の資料を出しているため、比べる作業そのものは難しくない。
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