市場は大きい。空いているのは都市ではなく地方だった
観光で何かを始めたいと相談を受けると、たいてい最初に出てくるのは「もう大手がやっている」という懸念である。確かに規模は大きい。政府が令和8年3月27日に閣議決定した観光立国推進基本計画は、2025年の国内旅行消費額を26.8兆円、訪日外国人旅行消費額を9.5兆円と記している。計画はこの産業を「日本第2位の輸出産業」と位置づけてもいる。
ところが同じ計画を読み進めると、数字の内側がかなり歪んでいることが分かる。2030年までの目標値と2025年の実績を並べたとき、達成済みのものと、半分も届いていないものが混在しているのだ。国内旅行消費額は旧計画の目標22兆円を前倒しで達成し、新しい目標は30兆円に引き上げられた。訪日外国人旅行者数は4,268万人で、6,000万人という目標まで約7割の位置にいる。
それに対して、訪日外国人が地方部に泊まった延べ宿泊者数は5,873万人泊で、目標の1億3,000万人泊に対して45パーセント程度でしかない。ここが最も開いている指標である。計画がいう地方部とは、埼玉・千葉・東京・神奈川・愛知・京都・大阪・兵庫の8都府県を除いた地域を指す。つまり残りの39道県に、二倍以上の伸びしろが名目上は残されている。新しく始める側が入り込む隙は、都市の密集した領域ではなく、この空白のほうにある。
一人当たり1.4泊という数字が意味すること
地方部の宿泊が伸びない理由を、計画は珍しく率直に書いている。訪日外国人一人当たりの地方部宿泊数は2025年時点で1.4泊だった。目標として想定されているのは、訪日客を6,000万人と仮定したときに一人当たり2泊以上になる水準である。
届かなかった要因として計画が挙げるのは三つ。地方部での延べ宿泊者数そのものの伸び、地方部における高付加価値な旅行者の受入環境、そして海外から地方部へのアクセス性である。いずれも滞在期間が延びなかった背景として説明されている。宿が足りないという単純な話ではなく、着いてから二晩目を過ごす理由が用意できていない、という読み方になる。
この1.4泊と2泊の差は、事業の形にすると分かりやすい。一泊の客を二泊に変えるのは、新しい観光地をつくることではない。朝から夕方までの時間に、翌日も残りたくなる予定を一つ置くことだ。体験プログラム、二次交通、夜に開いている店の情報、荷物を預けて動ける仕組みなど、個別には小さな要素が並ぶ。大手が全国一律では組みにくく、地元の事業者だけでは手が回らない領域に、ちょうど重なっている。地方部の宿泊シェアがどう動いてきたかは宿泊者数から観光振興を読んだ記事でも追っている。
2030年の目標と2025年の実績を並べる
計画に載っている主な指標を、目標と実績で対照させておく。どこが埋まっていてどこが空いているかは、一覧にすると迷いが減る。
| 指標 | 2030年までの目標 | 2025年の実績 |
|---|---|---|
| 訪日外国人旅行者数 | 6,000万人 | 4,268万人(暫定値) |
| 訪日外国人旅行消費額 | 15兆円 | 9.5兆円(速報値) |
| 訪日客一人当たり消費額 | 25万円 | 22.9万円(速報値) |
| 訪日客の地方部延べ宿泊者数 | 1億3,000万人泊 | 5,873万人泊(速報値) |
| 国内旅行消費額 | 30兆円 | 26.8兆円(速報値) |
| 日本人の地方部延べ宿泊者数 | 3.2億人泊 | 3.0億人泊(速報値) |
| 日本人の海外旅行者数 | 2,008万人超え | 1,473万人(暫定値) |
| 宿泊業が創出した付加価値額 | 6.8兆円 | 4.3兆円(2024年度) |
| 誘客と住民生活の両立に取り組む地域数 | 100地域 | 47地域 |
並べてみると、残りの開きが大きい順に、訪日客の地方部宿泊、宿泊業の付加価値額、日本人の海外旅行者数、両立に取り組む地域数という順番になる。日本人の地方部宿泊は3.0億人泊から3.2億人泊で、すでに目標の94パーセント近くまで来ている。国内の需要を地方へ運ぶ部分は、おおむね動いていると見てよい。
単価と付加価値の側に、目標が寄っている
計画の指標でもうひとつ目を引くのは、人数ではなく金額の質を問う項目が増えたことだ。訪日客一人当たりの消費額は22.9万円から25万円へ、宿泊業が創出した付加価値額は2024年度の4.3兆円から6.8兆円へ引き上げる目標が置かれている。
付加価値額の目標について、計画は理由も書き添えている。宿泊業の収益性と生産性を上げて付加価値を増やし、それを従業員の賃上げや施設改修への再投資に回し、さらに質の高いサービスにつなげる循環をつくる、という組み立てだ。付加価値額の伸びが働く人に還元されているかを確かめるため、宿泊業の平均賃金の推移も併せて注視すると明記されている。
4.3兆円を6.8兆円にするには、1.6倍近い伸びが必要になる。客数を1.6倍にして実現する絵ではないだろう。同じ客数でも単価が上がる、あるいは人手をかけずに回る、どちらかが起きなければ届かない。ここは手を動かす余地がはっきりしている領域だ。予約と在庫の管理、連泊の設計、多言語での案内、閑散期の埋め方など、一つずつは地味だが積み上がると効く。観光の法人が計画どおりに稼げなかった例については債務超過の構造を追った記事に整理がある。収益の設計を後回しにすると何が起きるかを、先に読んでおきたい。
47地域から100地域へ。混雑対策が仕事になる
計画で初めて数値目標になった項目がある。観光客の戦略的な誘客と住民生活の質の確保との両立に取り組む地域数を、47地域から100地域へ倍増させるという目標だ。
ここで数えられているのは、地域住民を含む関係者の協議の場を設け、住民の意見を取り込んで過度の混雑やマナー違反といった個別課題の計画を策定している地域である。つまり看板を掲げただけでは数に入らない。協議の場をつくり、課題を特定し、計画の文書にまとめるという工程が必要になる。
この倍増が意味するのは、今後5年で53地域が新たにこの工程に取りかかるということだ。住民へのヒアリング、来訪者数の実測、混雑の時間帯と場所の把握、計画の文案づくりといった作業が各地で同時に発生する。どれも観光の知識と、地域の人の話を聞く手間の両方を要する仕事で、人手が足りない自治体ほど外部に頼ることになる。学生のうちに地域へ入った経験が、そのまま通用する種類の仕事でもある。
よくある質問
観光で起業を考える人から寄せられる疑問を、計画の数字に戻しながら答えておく。
「資金も経験もない学生が、観光で始められることはあるのか」。地域に入る手段と事業を同時に用意する必要はない。参考になる数字が総務省の資料にある。地域おこし協力隊で任期を終え、活動していた市町村に定住した5,038人のうち、約46パーセントが起業している。地域で3年活動したあとに自分の事業を始める道筋が、相当な比率で成立しているということだ。学生と地域をつなぐFLASPOのような取り組みで短い関わりを重ねておくと、どの地域で何が足りないかを先に知ることができる。
「インバウンド向けでなければ意味がないのか」。そうとは限らない。国内旅行消費額は26.8兆円で、9.5兆円の訪日消費の3倍近い。目標も30兆円に引き上げられている。日本人の地方部宿泊が目標の94パーセント近くまで来ている一方、訪日客の地方部宿泊は45パーセント程度という差があるだけで、国内需要の市場そのものは大きい。
「どの数字を定点で見ればよいか」。目標との開きが大きい指標を一つ選び、年に一度の公表に合わせて確かめるのが続けやすい。地方部を扱うなら訪日客の地方部延べ宿泊者数、宿の運営に関わるなら宿泊業の付加価値額が目安になる。いずれも観光庁が基本計画のページで公表している。
「実績値に速報値と暫定値があるのはなぜか」。集計の段階が違う。訪日客数と海外旅行者数は2026年3月18日発表の暫定値、消費額は2026年1月21日発表の速報値、地方部の宿泊者数は2026年2月27日発表の速報値として計画に記されている。確定値が出ると小幅に動くため、他の資料と比べるときは発表日を揃えておきたい。
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