泊まる話が、三つの計画に書き込まれている
農山漁村に宿を取り、滞在中に地元の食事や農作業体験を楽しむ。その旅行の形を農林水産省は「農泊」と呼んでいる。ところが行政の文書でこの語を追うと、観光振興の枠に収まっている例がほとんどない。名前が出てくるのは、人口減少と所得という別の宿題が並んでいる場所である。
「観光立国推進基本計画」(令和5年3月31日閣議決定)では「滞在型農山漁村の確立・形成」の項に置かれ、農泊地域での年間延べ宿泊者数を令和7年度までに700万人泊とすることで農山漁村の活性化と所得向上を目指す、と書かれている。「食料・農業・農村基本計画」(令和2年3月31日閣議決定)では「人口減少社会における農山漁村の活性化」の章に入り、持続的なビジネスとして実施できる農泊地区を500地区創設する、という目標が立っている。「デジタル田園都市国家構想総合戦略」(令和4年12月23日閣議決定)での位置は、さらにはっきりしている。農泊は「関係人口創出・拡大のための環境整備」の項目に置かれており、旅行者を増やす手段ではなく、地域と継続的に関わる人を増やす入り口として扱われている。
つまり農泊に与えられている仕事は三つある。泊数を積むこと、地域に所得を残すこと、そして関わり続ける人を生むこと。以下では農林水産省の「農泊をめぐる状況について」(令和7年1月10日時点)に載っている数字で、この三つがどこまで進んだのかを順に見ていく。
泊数の目標は、期限より前に超えていた
三つのうち、数で決着がついているものが一つある。令和7年度までに700万人泊という目標は、令和5年度の時点で794.2万人泊に達してすでに達成されている。期限を2年残しての到達だった。
ここで一つ、読み方の注意がある。この統計でいう「農泊地域」とは、農山漁村振興交付金による農泊推進の支援に採択されて取り組んでいる地域を指す。全国の農家民宿を数えたものではなく、支援を受けた地域の集計である。だから地域数が増えれば泊数も増える関係にあり、両方を並べて見ないと伸びの中身がつかめない。
| 年度 | 農泊地域数 | 国内(万人泊) | インバウンド(万人泊) | 合計(万人泊) |
|---|---|---|---|---|
| 平成29年度 | 206 | 177.3 | 12.9 | 190.3 |
| 平成30年度 | 352 | 338.2 | 27.9 | 366.1 |
| 令和元年度 | 515 | 551.5 | 37.6 | 589.2 |
| 令和2年度 | 554 | 388.6 | 1.9 | 390.6 |
| 令和3年度 | 599 | 447.4 | 0.9 | 448.3 |
| 令和4年度 | 621 | 595.4 | 15.4 | 610.8 |
| 令和5年度 | 656 | 755.5 | 38.7 | 794.2 |
出典:農林水産省「農泊をめぐる状況について」(令和7年1月10日時点)。元データは同省「農泊地域における令和5年度実績調査」(令和6年10月実施)である。
線の形は素直ではない。令和元年度から令和2年度にかけて約199万人泊、およそ0.7倍まで落ちている。地域数はこの間に515から554へ増えているのに、泊数だけが沈んだ。戻り方も急で、令和4年度から令和5年度の1年で約183万人泊、およそ1.3倍に伸びた。地域別の分布をたどった農泊はどの県に多いのかと合わせて見ると、この伸びがどこで起きたかの見当がつく。
交付金は地域にではなく、取組の種類に付く
受け入れ側から見たとき、農泊は「手を挙げれば予算が下りてくる制度」ではない。支えているのは農山漁村振興交付金(地域資源活用価値創出対策)のうちの農泊推進型で、令和7年度の予算概算決定額7,389百万円の内数、これに令和6年度補正予算額1,325百万円の内数が加わる形になっている。「内数」と書かれているとおり、農泊だけに割り当てられた枠として表に出ているわけではない。
金額の出方にも癖がある。地域単位の総額ではなく、何をするかで単価と上限が別々に決まる。新しく始める地域と、すでに一度取り組んで単価の引き上げを目指す地域が、別のタイプに分かれている点が特徴的だ。
| 支援の種類 | 交付率 | 上限 |
|---|---|---|
| 農泊地域創出タイプ(新たに取り組む地域) | 定額 | 500万円/年 |
| 農泊地域経営強化タイプ(高付加価値化) | 定額 | 250万円(年基準額)×事業期間 |
| 人材活用事業(研修生タイプ) | 定額 | 250万円 |
| 人材活用事業(専門家タイプ) | 定額 | 650万円 |
| 滞在施設・体験交流施設などの整備 | 1/2 | 2,500万円/事業期間 |
| 遊休資産の改修 | 1/2 | 5,000万円 |
| 市町村所有の遊休資産を宿泊施設へ改修 | 1/2 | 1億円 |
| 農家民泊などの小規模な改修 | 1/2 | 1,000万円/経営者かつ5,000万円/地域 |
農家民宿へ転換する場合は小規模改修に上限100万円が加算され、地域の防災計画と連携して農泊施設を避難所等として使う場合にも加算の枠がある。推進事業の事業期間は上限2年間で、短い。そして申請の主体は個々の宿ではなく、宿泊業・飲食業・農林水産業・小売業・旅行業・金融業・交通業などが集まる地域協議会と、その調整役を担う中核法人である。一軒で完結させる設計になっていないところが、地方創生交付金の仕組みと同じ発想に見える。
1泊あたりの金額が、観光全体に追いついていない
泊数が目標を超えたのに、農林水産省の資料が「課題」と書いているのは別の数字である。農泊地域の1泊あたり平均宿泊費は12,904円。観光庁「旅行・観光消費動向調査」の観光・レクリエーション1泊あたり宿泊費15,140円に対して、2,236円低い水準にとどまっている。安く泊まれることは旅行者には利点だが、地域に残る金額という観点では逆向きに働く。
同省は700万人泊に対応する効果を試算の形で示している。関連消費が約1,060億円で、内訳は宿泊が約580億円、食事が約300億円、体験が約180億円。ここに付加価値率0.4を掛けた約420億円が所得創出効果とされている。泊数は目標を超えたが、1泊の単価が観光全体より低いままだと、この420億円の側は泊数の伸びほど素直には伸びない。
単価を動かした例として資料に載っているのが、福井県小浜市の内外海地区活性化プロジェクト推進協議会である。昔ながらの民宿を外部人材の指導を受けて建物と食事ごと作り替え、令和2年のリニューアル後に宿泊単価を1人当たり1万円から2万5千円へ、宿泊者数を年間700人から1,200人へ動かした。家族経営だった体制から、正社員6名の雇用が新たに生まれている。単価が上がると客が減るという想定とは逆の結果で、泊数と単価を同時に上げた事例として置かれている。旅行者側の利点のまとめは農泊のメリットは何かに詳しい。
外国人の宿泊は、目標の半分にも届いていない
三つめの宿題にあたるのが、海外からの客である。農林水産省は農泊地域の年間延べ宿泊者数に占める訪日外国人旅行者の割合を10%とする目標を掲げている。ところが令和5年度の実績は38.7万人泊で、同年度の合計794.2万人泊に対して約5%。目標の半分ほどという位置にある。
落ち込みの深さも、先の表から読める。令和元年度に37.6万人泊あった外国人の宿泊は、令和2年度に1.9万人泊、令和3年度には0.9万人泊まで下がった。元の水準の40分の1である。令和4年度に15.4万人泊まで戻り、令和5年度の38.7万人泊でようやく令和元年度を上回った。国内側が令和5年度に755.5万人泊と平成29年度の4倍以上になっているのに比べると、こちらは6年かけて出発点に戻っただけという形になる。
同省が挙げている詰まりの箇所は、宣伝と受け入れの両方にある。ターゲットに合う媒体や手法の宣伝ノウハウが足りないこと、在外の旅行業者とのつながりが薄いこと、訪問を希望する旅行者とのマッチングの機会が少ないこと。受け入れ側ではWi-Fi設備や洋式トイレといった設備の不足、訪日外国人に対応できる人材の不足が並ぶ。これに対して「農泊インバウンド受入促進重点地域」を40地域程度選び、交付金による受入体制整備の優先支援、海外旅行会社との商談会やモニターツアー、日本政府観光局による海外向けプロモーションを重ねる形が取られている。地域の受け入れ体制づくりという点では、学生が地域に関わる回路を広げてきたFLASPOの取り組みと向き合っている課題が重なる部分がある。
よくある質問
農泊地域の数は全国の農家民宿の数なのか。違う。農山漁村振興交付金で農泊推進の支援に採択され、取り組んでいる地域の数である。令和5年度末で全国656地域という値は支援を受けた地域の集計であって、農家民宿そのものの軒数を数えたものではない。
700万人泊を達成したのなら政策は終わるのか。資料の書き方はそうなっていない。達成が報告されているのは泊数の目標だけで、訪日外国人の割合10%は未達であり、1泊あたりの単価も観光全体を下回ったままである。また「食料・農業・農村基本計画」の500地区という目標は、地域の数ではなく「持続的なビジネスとして実施できる」体制を持つ地区の数を問うものなので、泊数の達成とは別の基準で測られる。
個人で農泊を始める場合に交付金は使えるのか。申請の主体は地域協議会と中核法人で、個々の事業者が単独で受け取る設計ではない。ただし小規模な改修の枠には経営者単位の上限として1,000万円が置かれており、農家民宿へ転換する場合の100万円の加算もある。地域協議会に加わった上でその枠を使う形になる。
「泊食分離」や「高付加価値化」は何を指しているのか。「新時代のインバウンド拡大アクションプラン」(令和5年5月30日閣僚会議決定)が、古民家の改修、泊食分離、多言語表示、キャッシュレス対応を並べている。泊食分離は宿泊料と食事料を分けて売る形で、食事の提供を地域の飲食店側へ回せるようになる。単価の再設定やDXによる生産性向上と合わせ、1泊あたりの金額を動かす手立てとして置かれている。
最新の状況はどこで確かめられるのか。農林水産省の農泊の推進に資料がまとまっている。泊数と地域数は年度ごとの実績調査で更新されるため、年度の表示を確かめてから数字を引くほうが安全である。
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