若者が「自分だけが知る“推し地域”」の魅力を自由に綴ることを通じて、地域と若者・企業がつながる機会を生み出すエッセイコンテストを、2025年7-8月にFLASPOと地域とつながるプラットフォーム「SMOUT」 が共同開催!
全国各地から合計70以上の”推し地域”をテーマとした作品が集まりました!
そこで、第10弾の今回も、惜しくも受賞しなかった素晴らしい作品たちをご紹介します!
読むと、地域に関わりたくなる、自分も地域の魅力を言葉にしたくなる、心に残る作品ばかりです!
※コンテスト概要はこちら👇
<エッセイ紹介>
(51)「渋川での、予想外の出会い」(ペンネーム:岬)
私の旅の相棒はGoogleマップだ。
大抵の観光スポットなら載っているし、道筋も案内してくれる。ご飯情報も充実。写真はネタバレになるから見ないようにスクロール。
新鮮味は減るかもしれないが、面白そうな場所を見逃したのが分かった時の方が嫌だ。先達はあらまほしき事なり。そう思っていた。就職を翌月に控えた大学最後の春休み。
その気になればどこでも働けるんだぞ、という実感が欲しくて、単発アルバイトをするために群馬県渋川市に向かう電車に揺られていた。
約束は伊香保温泉に午後1時。あと6時間。それまで時間があったから、渋川を探検しようと決めていた。Googleマップを立ち上げ、付近の史跡を検索。
すると「浅間石」なるものが複数あるのが気にかかった。
ちょっと口コミを見てみると、1783年に起きた浅間山の噴火によって流されてきた巨石があちこちに残っているというのだ。なんとなく日本史の授業で聞いた話が思い起こされるが、浅間山から渋川まではかなり距離があるはずである。
まさに自然の力。気になる。
アクセスしやすい浅間石を探す。「県指定天然記念物 金島の浅間石」:金島駅から徒歩17分。いける。
車窓から差す朝日に期待をふくらませながら、渋川駅を乗り過ごした。金島駅で降りる。他に降りる人が一人。
浅間石への小道は吾妻線と並行しており、それは吾妻川とも並行している。道の両側に田畑が広がり、民家が点在する。天気情報を見ると氷点下1度。静かな朝の空気を吸い込む。
5分ほど歩いただろうか。ご当地ラジオでもつけようかとイヤホンを取り出した時、左手に予想より早く、家の塀ほどの高さの岩が現れた。その黒い岩は雑草の生えたなにもない土地に佇んでいた。
異様なのは岩の上部。とげとげしている。少し近づいただけで、すぐにそれが着物を着た女性をかたどったものだと分かった。10体ほどいる。そのうち何体かには首がない。着物の背中には文字が彫られているが、風化していてよく分からない。
付近に看板もない。Googleマップにもピンが立っていない。こんなに目立つのに?
ネットで検索しても、探し方が悪いのか、それらしいブログや投稿は見つからなかった。誰がいつ何のために作ったのか、由来を聞こうにも人通りがない。首のない石像を直視し続けるのも悪い気がして、後ろ髪を引かれながら当初の目的地に向かった。
後日、ストリートマップで当日通った道を確認してみた。巨石は確かにあった。幻でなかったことにほっとする。
ふと、石像が道に背を向けていることが気になった。この人たちはどこを見ているんだろう。写真で見る限りはわからなかった。石像の目線に合わせるように地図を回転・縮小する。あ、と声が漏れた。彼女たちは浅間山を見ていた。
予定にない出会いのほうが、心に残るのかもしれない。
推し地域= 群馬県渋川市
「名もなき女性たちの眼差しは、地域再生への祈りだと信じて。」
(52)「小さな島から大きな世界を考える」(ペンネーム:Bambi)
7月最後の日曜日。僕らを乗せた一両編成の列車は、午前8時半過ぎに新庄駅に入線した。静止した車両をわらわらと出る乗客らを横目に、僕はゆったりと腰をあげ、最後に列車を降りた。
僕の住む秋田と山形は陸続き。近いけど、実は、ほとんど足を運んだことがない。そんな僕が来形したのは、仕事の都合で「河北町」に行くことになったから。町へ辿り着くためには、この駅で乗り換える必要があった。改札を出た僕は発車まで数時間をやり過ごすため、無料の休憩スペースに腰を下ろした。
その発車時刻に30分と迫った頃、気分転換も兼ねて、駅舎の外へ出てみることにした。うわっ。あっつ。家を出る頃には穏やかだった太陽にあの頃の面影はなく、今や地面に陰ができないくらいの角度から鋭利な光を差しては、豪快に夏を演出している。全身に注ぐ夏に耐えながら、左手に続く道を進んだ。
キッチンカーを通り過ぎ、駅に併設された店舗を横切り、駐車場の中を突き進むと、目の前に広場が現れた。広さはサッカーコート1面ほど。小さな真四角のタイルが、碁盤の目状に敷かれている。
広場の中央には、噴水のような造形物があった。地面が均一な深さで真円にくり抜かれ、そこから高さの違う金属の円柱が数本伸びている。向かって左手には、階段状の座席があった。野球場の内野席みたいなシートが、奥に向かって伸びている。そこに座ると、中央のオブジェを拝む恰好になりそうだ。
ざっと辺りを見渡した後、近くにあった木製のベンチに座った。リュックに入れたペットボトルを手に取り、だいぶぬるくなったお茶で喉を潤していく。
それにしても、一体ここは何なのだろう?
キャップを締めながら、暑さに溶けそうな脳を必死に回転させる。
もし、中央のアレが「噴水」だとして、水が流れていない理由は何だ。この時期だからこそ、水を湧き出させた方が良い気がするのに。それができないくらいの水不足に陥っているのだろうか。いや、ひょっとすると「噴水」ではないのかもしれないぞ。地元の近代アート作家の作品で、駅の周年記念に寄贈した代物って可能性もある。
としても、だ。あの座席は何だろう。噴水でもアート作品でも、あれだけ大きな席を用意する必要はなく、今座っているベンチを点々と増やしてあげれば十分愉しめる。スポーツの観客席に見えるが、地面が凸凹しているこの場所はスポーツ向きではなさそうだし。
ジー。ジー。ジー。
けたたましいセミの声が、僕をリアルの広場に引き戻した。てか、あっつ。ポケットのスマホが異様な熱を帯びている。「早く涼しい場所に行け」と言わんばかりのソイツを点けると、出発まで10分を切っていることが分かった。急いで駅に引き返し、無事にお目当ての列車に乗車できた。
それにしても、一体あそこは何だったのだろう?
胸をかすめた謎は解き明かされることのないまま、今この瞬間も、あの場所に息づいている。推し地域=鹿児島県の徳之島
「自由の女神はここ、from徳之島」
(53)「田川後藤寺、シャッター街の風景」(ペンネーム:たちりこ)
私は、旅行が好きだ。
暇を見つけては、日本中さまざまな場所に出かけている。
「旅行」といっても、一般的に想像されるそれとは、大きく異なるものかもしれない。
ローカルな公共交通に乗り、何の変哲もない”まち”を歩き、大小さまざまな商業施設を巡り、地元のスーパーで買い物する…。
どちらかというと、「まちあるき」に近いものかもしれない。
「観光客」としてまちを訪れるというよりも、むしろ「地元の人」に”擬態”して、同じ視点で生活を体感することで、そのまちがより鮮明に見えてくる、そう思っている。というわけで、今まで数えきれないほどのまちを歩いてきた。
その一つ一つに思い入れはあるのだが、その中でも何故だかとりわけ印象に残っているまちがある。福岡県田川市、後藤寺商店街。
筑豊炭田の中心で、かつて炭坑のまちと栄えたまち。
炭坑の閉鎖とともに人口減少が進み、中心市街地は衰退。
かつては隆盛を誇っていた後藤寺商店街も、薄暗い全蓋式アーケードの下にシャッターの閉じた店舗がびっしりと並ぶ。
かつては多くの人で賑わっていたのだろうが、歩いていたのは2、3人。
まちの商業拠点としての役割を終えつつあることを実感し、もの悲しい気持ちになった。
感傷に浸りながらとぼとぼ歩いていると、半分シャッターの閉まった化粧品店から、一人のおばあちゃんが出てきた。
「どこから来たの?」
−「東京からです」
他愛もない会話をしているうちに、おばあちゃんはさまざまなことを教えてくれた。
昔は今とは比べ物にならないぐらい賑わっていたこと。
みんな博多に出たり、飯塚のイオンやゆめタウンに買い物に行くようになってしまったこと。
今はエステをメインでやっていて、お客さんがけっこう来ていること。
そして、店内を案内してくれ、「また来てね」と。思い返してみると、大した出来事ではなかった。
それでも、なぜかものすごく印象に残っている。
一人でまちを歩いているからこそ、人との「ふれあい」に心を揺さぶられたのかもしれない。
自分でまちを”見る”、これはもちろん大切にしたい。
でも、人からまちの物語を”聞く”、そして”感じる”のも含めて、まちあるきの醍醐味なんだなと実感した出来事だった。今日も、まだ知らぬまちを、一人、歩いていく。
推し地域=田川市後藤寺商店街
「昼間のシャッター街。何気ない風景が、思い出になる。」
(54) 「地域アイデンティティとしての学校」(ペンネーム:コバカン
地域の誇りといえば、華やかな祭りや名産品が思い浮かぶだろうか。しかし私にとっては、一見ありふれた「学校」こそが、その象徴であった。義務教育の場であり、誰もが通う施設に特別な意味を見いだすのは難しいかもしれない。だが、地域の人々が設立の資金を出し合い、材料を供給し、汗をかきながら築き上げた校舎だとしたらどうだろう。そこには確かに、地域の誇りが刻まれているのではないだろうか。
私が檜原村を初めて訪れたのは、冬の寒さが骨身にしみる十二月の暮れだった。都心からわずか50キロとは思えないほど静かな森と川の音に包まれた村。その山の斜面にひっそりと立つのが「藤倉小学校」である。今はNPO法人によって宿泊施設として使われているが、小さな木造の校舎は往時の姿をほとんど変えていない。敷地に一歩踏み入れただけで、ここに通った当時の子どもたちや、その周辺を支えた村人たちの息遣いがまだ残っているようにも思えた。
檜原村には、藤倉小学校のような廃校跡がほかにも数多くある。石碑として残された跡地もあり、村のあらゆる学校が同じ形で記憶を継承されているのだ。これほど徹底して「学校」を地域の大切な記憶として守ろうとする姿を、私は他に知らない。
檜原村の廃校は、ただの建物ではなく、地域の人々の絆と誇りを映し出す鏡である。静かな山あいに残された木造校舎に、私はこの村のかけがえのない魅力を感じずにはいられない。だからこそ、私にとって檜原村は“推し地域”なのだ。推し地域=東京都桧原村
「木造校舎のぬくもり」
(55) 「生活空間について」(ペンネーム:鹿手袋)
誰しもが家族と、恋人と、友人と歩くような中層低層の商業ビル立ち並ぶ繁華街がある。そして彼らの生活空間としてその街は、人々に新たな刺激をもたらし続けている。素晴らしい人々を育てる土壌は、素晴らしい故郷とそれによる素晴らしい人格形成に基づいていることだろう。
僕の育ったそんな公共空間は、思い返してみればそんな素晴らしい故郷を提供してくれたなあとそう感じる。地域らしさとかではなく、その豊かさにポイントがあり、その豊かさの根源にはその地域の後天的特性も多く孕んでいて、僕はなんていい街で育ったんだと思わずにいられない。
静岡駅の北部、昔は駿府城の商店街にして戦火を受けるも、区画を変えずに再生した街々は非常に自動車の便が悪く、僕も家族と行く時には文句が絶えなかったが、自転車で行ってから歩く分には大満足の要素であった。その区画も生かして、歩行者天国もかなり大規模に展開されている。土日には大道芸人やらが来ては技を披露していたり、少女の石像のスタチューパフォーマンスをしている人がいたり、圧倒的にアトラクションに富んでいて、いつ行っても面白い。ただ歩きに行くのに行くこともあった。この中に#街は劇場、のハッシュタグで活動している人がいたり、追ってみるとこの静岡の街の非常にユーモラスな盛り上げを狙っている方々もいる。いつだったか大道芸W杯を持ってきたのもそうだが、イベントなどを見るとあそこ一帯の景色としての、経験としての、活動としての豊かさには眼を見開くものがあったと思う。自分はつまりは、あそこにて育った人間なのだと、そう言えると思うのですね。
人が歩いて見て楽しむ街、七間町はレトロな雰囲気を醸し出す落ち着いてオシャレな、呉服町はロードサイド店舗や服屋宝石屋、ファーストフードやゲームセンターといったいわゆるショッピングモール的な役割を持った「道」、青葉通は公園風に整備されていてイベント会場としてあって、写真映えがいい。このそれぞれの役割分担も相まって、気分に合わせて楽しむことができ、それぞれがそれぞれなりの統一感をしっかり出しているからこその街全体での完成度は眼を見開くものだった。
人を豊かにする街を作るためにはなにをするべきか、そもそも豊かさとは何なのか。街づくりという視座において、これらは僕の最も大切な故郷としても、この街をいろんな人にをぜひとも共有したいものである。
推し地域= 静岡県静岡市葵区七間町・呉服町・青葉通
「常磐町公園から眺める青葉通の、撮れ、と言わんばかりの景観」
ぜひあなたも自分の”推し”地域を想い、言葉にしてみるのはいかがでしょうか!
次回第11弾もお楽しみに!
第1〜10弾はこちらから👇








